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第34回 zen café 坐禅会(オンライン配信)


今月もオンライン開催です!

皆さまのご参加をお待ちしております!


【オンライン坐禅会(第34回定例坐禅会)】

8/23(日)20:00〜21:00@インスタグラムとYouTubeのライブ配信にて。

▼zen caféのインスタグラム

https://www.instagram.com/zencafe_shinshu

▼シンゲンさんのYouTubeチャンネル





2020年8月23日 オンライン配信 定例坐禅会 担当:zen café 茶頭 Tokushin



第34回 zen café 喫茶夜咄

 「最○の日々」




1、最悪の日々?


この最悪な日々を越えても そこに待つのも また最悪な日々かい?

これ以上落ちることなどないでしょう?!

だから このまま舞い上がれ 神様頼むよ


ママにすがられ パパに叱られ 犬に追いかけられ

夢を信じて それでも信じて 夢は夢で終わる?

いつまで こんな毎日を繰り返すんだろう

~秦基博【最悪の日々】より~


 

 2008年10月29日リリース、秦基博さんの 2nd ALBUM『ALRIGHT』より「最悪の日々」という曲の一節です。タイトルを「最悪な」日々。ではなく、「最悪の」日々。としたところに、なにか秦さんの思いを感じます。

 ある意味で新型コロナ問題によって、今年は「最悪の日々」なのだという方もいらっしゃるかもしれません。しかしどうなんでしょうか。お盆を、そして終戦記念日を経ますと、戦時中の様子を伝える報道もたくさん目にしまして、やはりその大変さ悲惨さでは戦争とコロナでは比べものになりません。

 ステイホーム、外出自粛期間を経て、普段より家族と過ごす時間が増えて、より仲良くなった家族、ケンカが増えた家族、両方いらっしゃるとお聞きします。いろいろ大変ですし、環境変化、状況変化、さまざまご苦労もあるわけですが、でもこれはまだ「最悪の日々」ではないのではないでしょうか。空から爆弾が急に落ちてくるわけではありませんし、各々で手洗い・うがい・マスク・ソーシャルディスタンスなどの衛生を気をつければそこまで怖いウイルスではないことがだんだんとわかってきています。まず衛生面でコロナ問題に対処しつつ、そして人間関係がコロナなんぞで壊されないように、過剰な過干渉はせず、明るく元気よく過ごしたい。そう思う今日この頃です😃




2、人の巣立ちをじゃましてはいけない。

1から10までめんどうを見ると成長は止まってしまう。


 もちろん何もできない未熟な時代は、子どもであっても社員であっても、とにかく細やかに愛情かけてめんどうを見ることが大切です。

 でもね、成長とともにぜんぶではなく、ちょっとずつ手放していかないと、人の成長が止まってしまいます。

 子どもの場合でいうと、思春期からは少しずつ子どもの人生と自分の人生の重なりを外していくことが必要なんですわ。〈中略〉まったく重なりがなくなるのは、寂しいという意見もあるでしょうな。

 でもね、親子なんやから、親子というつながりは残ってますやろ。私はこれは、橋のようなもんやと思ってます。〈中略〉「どう、元気?うまくやってるか?」と、親はその橋を渡って、たまに遊びに行かせてもらえればいいんです。

 ただしノックは必要やね。いくら子どもの人生やからって、土足で無遠慮に踏み込んだらあかん。

~中村恒子【心に折り合いをつけて うまいことやる習慣】より~



 1929年生まれの現役精神科医中村恒子先生の著書『心に折り合いをつけて うまいことやる習慣』より一節を紹介します。中村恒子先生は、2018年の刊行当時で、御年89歳にして週に4日、9時~17時のフルタイムで勤務されている現役のお医者さんです。幼少期に戦争を経験され、戦後の混乱の中で大変な苦労をされながらお医者さんになられた方です。その後の人生も中々に波瀾万丈であったことがこの本にも記されております。そのような中でもお医者さんを続けられ、約70年に渡って精神科医として数多くの患者さんと向き合ってきた中村先生の言葉は、平易で優しい口調ですが、ことの真芯を捉えているように思えます。スペースの都合上、掲載を見送りましたが、中村先生は親と子の関係性も、上司と部下の関係性も同じで、いつか巣立たせなければならない。とおっしゃってます。いかがでしょうか。自分の立場が、親である方、子である方、上司である方、部下である方、ほとんどの方はこの中の複数に当てはまる存在だと思います。それぞれのお立場で「過干渉」を「過依存」を止めて、「巣立ち」を意識してみませんか??😄




3、外に有相の仏を求むる、卒に是れ非行。

(ほかにうそうのほとけをもとむる、ついにこれひぎょう。)


[原文] 『傳光録』第九祖 伏駄密多尊者章

父母、我親に非ずと謂う。即ち是れ汝が言なり。是れ方に汝が心と親しし。諸仏、吾道に非ずと謂て、足遂に踏まず。即ち汝が行なり、道に合す。然れば外に有相の仏を求むる、卒に是れ非行。


[通釈]

「父母が如何に親しいといっても、自分とは別である」という。この言葉は汝自身の言葉であり、この言葉こそ汝自身の心と親しいものである。諸仏の道は、自分の道ではないとして、一歩も外に出なかったことも、汝自身の行で仏道に適っている。だから、外に仏を求めることは仏行にならないのである。


[解説]

 伏駄密多(ふだみった)は、五十歳の時に仏陀難提(ぶつだなんだい)の下で出家し、その法を嗣ぎました。

 その時のお話しです。伏駄密多は、「父母が親しいと言っても、自分とは別の存在であります。では自分と最も親しい者とはだれでしょうか。諸仏が歩んだ道もまた、私が歩んでいる道とは違います。一体誰が歩んだ道が私に最も親しい道でありましょうか」と、師に尋ねました。仏陀難提は、「あなたの言葉はあなたの本心と一致しており、その親密さは父母のそれと比べるべくもない。あなたのは行いは仏道に適い、諸仏の心と同じである。外に姿形を持った仏を求めたならば、あなたの心と一致しない。あなたの本心を知ろうとしたならば、誰に合わせることでもなく、また誰と離れることでもない」と、答えられました。この言を聞いて伏駄密多は悟ったのです。

 自身の外に仏を立てず、自身の本心を究明することこそ、仏と成る方法であるということです。瑩山禅師は、伏駄密多の質問を、自身の本心と親しい境界から発せられた言葉とし、この因縁を挙げて己事究明(こじきゅうめい)の大切さを説かれるのです。

~大本山總持寺【瑩山禅師 言の葉集】より~


 

 原文は瑩山紹瑾禅師(1246~1325)の著書「傳光録」に収録される言葉です。瑩山禅師は曹洞宗では「一仏両祖」として、道元禅師と共に称される人物ですが、この「傳光録」は加賀大乘寺にて、正安2年(1300年)の正月から為された提唱を、侍者が筆録し、後にまとめたものであると伝えられます。その内容はお釈迦様から懐奘禅師までの歴代祖師に関して章立てをし、それぞれの悟りの機縁を綴ったもので、道元禅師著の「正法眼蔵」と並ぶ曹洞宗の宗典として今に伝わっております。

 ここで紹介しました「外に有相の仏を求むる、卒に是れ非行。」この言葉の教示することは、上に抜粋し紹介した[解説]の通りではあるのですが、ごくごく簡単にひと言で表すのならば、「他人ではなく、自分だよ」と言うことでしょうか。自分に最も親しいのは両親でもなんでもなく自分。自分の本心を知るのも自分。他の何処でも無く、自分の中に真実がある。「己事究明」とは自分自身を知ること、見つめることです。今ここに居るのは他の誰でもない自分。なので、何か問題が起こったとき、他人のせいにしても何も意味が無いんです。結局最終的に立ち向かうのは自分しか居ません。そういう意味での「巣立ち」そして、困難な問題にも自分で対処できる自分へ。そう、いいことも、悪いことも自分事は自分で解決するんです☆




4、越えた先はたぶん最高な日々だい!


この最悪な日々を越えていけ! そこにあるのは たぶん最高な日々だい!

これ以上落ちることなどないでしょう?!

だから ここから這い上がれ 神様見てろよ

~秦基博【最悪の日々】より~


 

 最後も秦基博さんの「最悪の日々」という曲の一節です。日々の生活の中で、皆様それぞれに大なり小なりお悩みがあることと存じます。それって他の誰かが解決してくれることもありますが、結局自分事だったりします。悩みを越えた先には、たぶん最高な日々が待っています。悩みを乗り越えたという経験は確実にご自身の血肉となり、自信となっていきます。自分を親しむのも自分。自分を鍛えるのも自分。乗り越えた先の自分を楽しみに。ゆっくりでいいです。最悪の日々なんて、最高の日々にしちゃいましょう!仏様見てろよ!笑笑😉



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文責:Tokushin



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