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第38回 zen café 坐禅会(オンライン配信)



皆さまのご参加をお待ちしております!


【オンライン坐禅会(第38回定例坐禅会) & オンライン茶話会】←坐禅会と茶話会の同日開催です☆

12/12(土)20:00〜21:30@インスタグラムとYouTubeのライブ配信にて。

▼zen caféのインスタグラム

https://www.instagram.com/zencafe_shinshu

▼シンゲンさんのYouTubeチャンネル





2020年12月12日 オンライン配信 定例坐禅会 担当:zen café 茶頭 Tokushin



第38回 zen café 喫茶夜咄


 「人生の目抜き通りをどう歩きますか?」




1、Who am I ??


誰も知らない わたしが何なのか

当てにならない 肩書きも苗字も

今日までどこをどう歩いて来たか

わかっちゃあいない 誰でもない


~椎名林檎『三毒史』収録【目抜き通り】より~


 

 皆様お元気でお過ごしですか?冬生まれなのに寒さに弱いTokushin和尚でございます😄笑


 長野県は徐々に冬らしくなってきているものの、まだ穏やかな陽気の日も多く、わりと過ごしやすい今日この頃でございます。夕方に日の沈む時刻だけがずんずん早くなってきている実感がありますね🌞「去年の反動で今年は大雪が降るぞぉ!」という、地元のおじいさまの都市伝説を頂戴し、早々に交換したmy carのスタッドレスタイヤですが、今のところ本来の役どころを見つけられず、日々順調にすり減っております笑


 さて、ここに挙げましたのは、2019年5月27日リリース、椎名林檎さんの 6th ALBUM『三毒史』より「目抜き通り」という曲の一節です。目抜き通りとはメインストリートのこと。本曲は2017年銀座にオープンしましたGINZA SIX開業PRソングとして書き下ろされたものです。確かに当時TVCMでよく耳にした気がします。


 ここで出てきました「誰も知らない わたしが何なのか」「わかっちゃあいない 誰でもない」辺りのフレーズは、現代においてはわりとネガティブな意味で使われている気がしますが、果たしてこの歌詞のような状況は本当にネガティブな状況なのでしょうか?例えば日々を過ごしていく中で、個性を持った個人でいることに疲れちゃう事ってありませんか?Tokushin和尚はあります笑 そんな時に「しょせん自分は何者でも無い何かだ」と思うようにすると、すっと心が楽になることがよくあります。そういう意味では坐禅の時間も何者でもない素っぴんの自分になれるひとときです☆忙しい時代に生まれてしまいました笑 どうぞzen café坐禅会の時くらいは、背中に背負った荷物を一旦下ろして、誰も知らない誰でも無い素っぴんのあなたに会いに行きませんか?😊


 そして、アルバムタイトルに使用された「三毒」というのは実は仏教用語です。初め、Tokushin和尚も、音で聞くと「三国志」に近いので、「三国志」をもじって『三毒史』にしたのかなぁ。と想像したのですが、意外や意外、椎名林檎さんは仏教用語の「三毒」として、『三毒史』と名付けたそうです。


 「三毒」とは煩悩の要素を表す言葉で、「貪欲(トンヨク=むさぼり)」「瞋恚(シンニ=怒り)」「癡(チ=愚かさ・無知)」の3つを指し、「貪・瞋・癡(トンジンチ)」とまとめて呼びます。これらは誰でも持ち合わせている要素ですが、人間はこの「三毒」にとらわれて、真実が見えなくなってしまう。と仏教で説かれるものです。『三毒史』というタイトルですから、椎名さんはこの「三毒」の「自分史」的な表現を着想し、制作をなされたのでしょうか?またこの「三毒」は、それぞれを象徴する動物として「鶏・蛇・豚」が描かれますが、このアルバム『三毒史』の一曲目は「鶏と蛇と豚」という曲でして、その冒頭部は僧侶の読経する般若心経から始まります。そして本アルバムのジャケットに掲載される椎名さんはまるでジャンヌダルクを思わせる出で立ちです。これはフランスの解放を先導したジャンヌダルクの如く、「三毒」から我々を解放してくれる存在の象徴として表現したものなのでしょうか?ともかくもスタイリッシュなアルバムです。仏教要素が強すぎるお説教じみたものではなく、いつも通りの椎名さんワールドが存分に醸されているアルバムですので、ご興味ある方は全編聞いてみて下さい☆他にも「神様、仏様」や「あの世の門」なーんて曲も収録されています😃





2、禅って厳しい修行のイメージがあって、とっつきにくい気もする。



 そうかもしれません。でもじつは、気づいていなくても私たちの暮らしに禅の要素はたくさん浸透していて、それと知らずに禅の発想や言葉を使っていることが多いんです。「日々是好日(にちにちこれこうじつ)」という言葉を聞いたことありませんか。中国唐末から五代にかけての雲門文偃という禅僧の言葉で、「その日その日が好い日である」「毎日が素晴らしい」ということです。晴れの日もあれば嵐の日もありますが、どんな日だってそれぞれに価値があるのです。「何をやっても思うようにならない時、上にのびられない時に根は育つんだから」と相田みつをさんの詩のように考えられれば、悪い日なんてなくなりますし、すべてが明日につながってきます。そんなふうに、ポジティブ思考はとても禅的なのです。〈中略〉おみくじで大凶を引いても「これ以下はない、あとは上がるのみだ」と見方を変えて思うことができれば、落ち込まなくていいでしょう(笑)。



~石井清純著【禅ってなんだろう? あなたと知りたい身心を調えるおしえ】より~

 


 現駒澤大学教授石井清純先生の著書「禅ってなんだろう? あなたと知りたい身心を調えるおしえ」より、一節を紹介致します。きっと多くの方が耳にしたことがあるであろう禅語「日々是好日(にちにちこれこうじつ)」を取り上げていらっしゃいます。意味合いは上に記した引用部で清純先生が述べられている通りなのですが、個人的にTokushin和尚としましては、本山修行を思い出す言葉です笑 本山に上山したての頃、修行生活がツラくてツラくて、毎日ギブアップの文字がアタマの中をよぎりまくる中で、なんとか修行生活を続けられたのは、同じように苦しみながらもがんばる同級生(同安居・ドウアンゴっていいます)の姿と、「嵐のような日々。大凶のような日々。だけどもしこの日々を乗り切ることが出来たのならば、きっとこの先の人生で、これ以上にキツいことはそうそう無いはずだ。とにかくいけるところまでいってみよう。」という思いでした。するとだんだんと修行生活にも身体と心が慣れてきて、ツラい中にも喜びややりがいを感じられるようになりました。結局今となっては本山修行の日々はとても良い思い出であり、笑い話として鉄板です笑 やっぱり「日々是好日」ってほんとなんだなぁって思います。相田みつをさんの詩もその通りですよね。

 

 ちなみに、Tokushin和尚の出身高校には「日々是決戦(ひびこれけっせん)」という看板が校舎の屋上にありました。高校生の頃はなんとも思いませんでしたが、今あらためて目にしますと結構強烈な文言ですよね笑 まぁ高校生って日々サボりがちですから、「気を引き締めていきなさい!」という戒めだと思うのですが、「日々是好日」と比べたときに、一見するとほぼ同じ表記ですが、意味合いが180度違ってるのが個人的なツボです笑😊





3、そう、結果オーライ認めてあげたい


そう、結果オーライ認めたい

ああ いのちの使い道は

すれ違いざま笑って返す

ほんの一瞬




~椎名林檎『三毒史』収録【目抜き通り】より~

 


 最後も椎名林檎さんの「目抜き通り」という曲の一節です。皆様はこの詩から何を感じましたでしょうか?


 ここで出てきます「結果オーライ」という言葉があります。どうでしょう?これもわりと良くない意味で使われることが多いような気がします。いいかげんな感じの代名詞のような。椎名さんも「結果オーライ」を「認めたい」と綴っています。「認めたい」ということは、普通にいくと認めてもらえない。ということが暗に含まれています。「結果オーライ」って、もともと良い塩梅に肩の力が抜けてる方には必要の無い言葉かもしれませんが、日々を一所懸命すぎるくらいに頑張って頑張って頑張り過ぎちゃう方に贈ってあげたい言葉だなぁって思いました。加えてこの椎名さんの詩からTokushin和尚は「たしかに人生って、いのちの使い道って、頑張っている人とすれ違ったときに、若しくは自分が頑張った後に、ニコッと笑えること。そしてその一瞬。とても素敵だなぁ」って思いました。「よく頑張った!あとは結果オーライでいいじゃん☆」って、自分にも周りにもいってあげられる人になりたいと思いました😊


 そういえば、Tokushin和尚が初めてマクドナルドさんを訪れたときにはスマイルは0円でしたねー😊…もうメニュー表には載ってないのかなぁ??笑




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文責:Tokushin

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