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第42回 zen café 坐禅会(オンライン配信)



皆さまのご参加をお待ちしております!


【オンライン坐禅会(第42回定例坐禅会) & オンライン茶話会】←坐禅会と茶話会の同日開催です☆

4/3(土)20:00〜21:30@インスタグラムとYouTubeのライブ配信にて。

▼zen caféのインスタグラム

https://www.instagram.com/zencafe_shinshu

▼シンゲンさんのYouTubeチャンネル





2021年4月3日 オンライン配信 定例坐禅会 担当:zen café 茶頭 Tokushin



第42回 zen café 喫茶夜咄


 「息災ですか? ~終息を祈って~」




1、遠く遠く



遠く遠く離れていても

僕のことがわかるように

力いっぱい 輝ける日を

この街で迎えたい


外苑の桜は咲き乱れ

この頃になるといつでも

新幹線のホームに舞った

見えない花吹雪思い出す



~槇原敬之【遠く遠く】より~


 

 新年度!新学期!4月になりましたね!高遠の桜も咲きはじめ、信州も日毎に暖かくなってきております😃明治神宮外苑の桜は咲き乱れてる頃でしょうか?もう散り始めてるころでしょうか?桜の花びらの花吹雪ってなんであんなに心を打つのでしょうか?何度経験しても春の訪れはうれしいです!あ。皆様無事に良いウソはつけましたでしょうか?笑 


 Tokushin和尚は毎年3月末になるとエイプリルフールに向けてソワソワしだし、あんなウソがいいか、こんなウソがいいか、推敲し、そして4/1当日になるとその練ったウソをつき忘れる。というのが恒例です 笑 今年も例年の如くウソをつき忘れました😊きっと根がマジメなんでしょうね😋笑


 さて、ここに挙げましたのは、槇原敬之さんの1992年発売のアルバム『君は僕の宝物』の収録曲「遠く遠く」という曲の一節です。ご存じの方も多いとても有名な曲だと思うのですが、実はこの曲はシングル化されていないそうで、アルバム発売の後に2度のセルフカバーが行なわれ、2度目となる2006年の「遠く遠く '06ヴァージョン」がCMソングに採用されたことで、再注目されることとなったそうです。こんな有名な曲にそんな経緯があったとは露知らずびっくりしました。


 歌詞は、槇原さんが故郷に住む友人を思って書いたもので、成功を誓って都会にでてきた若者の、心細さを感じながらも頑張っていこうという心情が描かれております。とても伝わりやすい平易な言葉で綴られた素敵な歌詞なんですが、この歌詞がコロナ禍における今のTokushin和尚には少し違った意味にも感じました。


 2021年の今これは、故郷と都会の「遠く遠く」ではなく、ステイホームだったり、遠出の自粛だったりで、あのひとにもこのひとにも会えなくなってしまっている、こころの「遠く遠く」とも捉えられるのではないでしょうか?コロナのせいで、近くても会えない。遠いともっと会えない。でも、遠く離れていても、今この時をがんばる。そしてwithコロナ下においても力いっぱい輝いてやる!久しぶりに聞いた槇原敬之さんの歌にTokushin和尚はそんな受け取り方を致しました。






2、「りんごかもしれない」



あるひ がっこうから かえってくると……

テーブルの うえに りんごが おいてあった。

……でも ……もしかしたら

これは りんごじゃないのかもしれない。


もしかしたら おおきな サクランボの いちぶかもしれない。


それか なかみは ぶどうゼリー なのかもしれない。


あるいは むいても むいても かわかもしれない。


ぼくからみえない はんたいがわは ミカンかもしれない。


ひょっとして あかい さかなが まるまっているのかもしれない。


なかは メカが ぎっしりなのかもしれない。


            【中略】


でも…… もしかしたら…… 

やっぱり ふつうのりんご かもしれない…… 

いろも ふつうだし 

うごいてないし 

へんな おとも しないし 

なんだか おなかも すいてきたし……。




……うん

 

おいしいかもしれない。


~ヨシタケシンスケ著【りんごかもしれない】より~

 


 イラストレーター、絵本作家のヨシタケシンスケさんの絵本「りんごかもしれない」より一部を紹介致します。この本は数々の賞を受賞しておりますので、ご存じの方も大勢いらっしゃるかもしれません。パッとでてきたものを羅列するだけでも、

第6回MOE絵本屋さん大賞 第1位

第4回リブロ絵本大賞 第2位

第2回静岡書店大賞児童書新作部門 第3位

第7回この本よかっ! 第2位

第61回産経児童出版文化賞・美術賞

厚生労働省社会保障審議会推薦児童福祉文化財

第3回 街の本屋さんが選んだ絵本大賞 第3位

第5回 ようちえん絵本大賞

第1回・第2回こどもの本総選挙 第3位

となります。すごいですね!絵本ですので、ぜひ手に取って、描かれている絵とともにご鑑賞頂けますと、よりこの本の世界観がより一層伝わると思いますが、私はこの本を読んだ瞬間、「あー。小さい頃自分はこんなことばっかり考えてる子どもだったなぁ。」って思いました 笑


 内容としては、学校から帰ってきたところ、テーブルの上にりんごが置かれており、それを見て、主人公の男の子はいろいろ想像、妄想してしまいます。おそらくこれは、「お母さんがおやつに用意してくれたふつうのりんご」なのですが、主人公の男の子はどんどんどんどん想像がふくらんでいきます。そして「うらがわはミカンかもしれない」「なかみはメカかもしれない」などと散々妄想しますが、結局おなかが空いてきてしまい、エイっと意を決して食べてみたら普通のりんごで美味しかった。と言うお話です。可愛らしいほのぼのとしたお話ですが、これを単なるこどもの妄想の話として高みの見物をしてしまってもいいのでしょうか?我々オトナにも刺さる部分があるのではないでしょうか?

 

 このお話って、ふと生まれた悩みがさらなる悩みを生んでしまって、どんどん悩みが増えていく負のループ思考に入ってしまった。それが解決できたのは、悩みをエイッと放り捨ててしまえたから。膨らみに膨らんだ悩みをエイって思い切って全部捨ててしまう気になれたのは、他でもないただの「空腹」という日常の単純な理由であり、フタを開けてみたらとてもシンプルな自然の節理が大量の悩みを全部吹き飛ばしてしまった。とも解釈できるのではないでしょうか?数年前には「捨てる技術」なんて本がベストセラーになりました。裏を返せば「捨てられない人が大勢居る」時代でもあります。きっと「悩み」も捨てられないんです。たまっていくんです。でも、その悩みを捨てるには、神の手を持つスーパードクターによる最新の外科手術が必要。。。なのではなく、日常生活のなかの気づき1つで、大量の悩みを捨てることもできるんじゃないですか?その悩みは実は自分自身で実情以上に膨らませてしまっている机上の空論なんじゃないですか?この絵本からTokushin和尚はそんなメッセージを受け取りました。





3、禅的捨てる技術??「放下著」



 挙。厳陽尊者問趙州。一物不将来時如何。

 州云。放下著。

『従容録』第五十七則「厳陽一物」より


【訓読】

挙す。厳陽尊者、趙州に問う、「一物不将来の時如何。」

(こす。ごんようそんじゃ、じょうしゅうにとう、「いちもつふしょうらいのときいかん。」)

州云く、「放下著。」

(しゅういわく、「ほうげじゃく。」)


【試訳】

 厳陽尊者が、趙州和尚に「私はすべてのものを捨て去った無一物の境地を得ましたが、この先の修行はどうしたらいいでしょうか」と質問したところ、趙州和尚は「(その境地も、そのおごりも、その悩みも)投げ捨てろ!」と答えた。



 『従容録』の第五十七則「厳陽一物」に記される禅語「放下著」を紹介します。『従容録』とは中国南宋末の曹洞宗僧侶万松行秀(1166~1246)が宏智正覺の『頌古百則』に短評や説明を加えたもので全六巻から成ります。わかりやすくかみ砕いて言えば、有名な禅問答を収めた本。と考えて頂ければ大丈夫です。この『従容録』に記される「放下著」に、Tokushin和尚は「禅的捨てる技術」とタイトルを振りましたが、「放下」は投げ捨てる。「著」は強調の助字ですので、趙州和尚の言った「放下著」とは、「そんなもん全部投げ捨ててしまえ!!!」というような強い言葉です。厳陽和尚の、私は悟りを得たというおごりの気持ちも、次にどんな修行すれば良いのかという悩みも、さらにはせっかく到達した悟りの境地でさえも、「捨ててしまえ!」と答えています。一見とても乱暴な答えに聞こえますが、これはこれでひとつの的を得た指針なのではないかとも感じます。現代社会を生きる我々の日常に照らし合わせてみます。例えば、クローゼットの断捨離などでも「いらないものだけを捨てよう」と思って取りかかると、全体の1割も捨てられずに終わることってありますよね?笑 それこそ、全部断捨離してやる!くらいの気持ちでとりかかって初めて、半分くらいの量に整理できたりします。人のそんな無意識の心の作用までも趙州和尚は見抜いていたのかもしれませんね😃




4、息災ですか?



遠く遠く離れた街で

元気に暮らせているんだ

大事なのは

“変わってくこと”

“変わらずにいること”


~槇原敬之【遠く遠く】より~

 



 最後も槇原敬之さんの「遠く遠く」という曲の一節です。「遠く離れた街で元気に暮らせている」だなんて、ほんと何よりの知らせですが、「元気」の類義語に「息災」と言う言葉があります。病気をせず元気なさまを表す言葉ですが、この言葉をまじまじと見ると「息」と「災」なんですよね。「災いの息」なんて言ったら、元気どころか、とても良くないものを想像してしまうわけなんですが笑、そうではなくて、「息」には、「休息」のような「やすむ」という意味の他にも、「終息」という熟語で使われるように「しずめる」という意味があります。なので「息災」は「災いを静める」という意味から派生して、「災いがなく元気な様子」を指す言葉になったと言われています。また「息災」は仏教由来の言葉でもあります。密教に「息災法」という修法があり、それは天然の災害や戦禍・火災・飢饉・病気などの種々の災厄を消滅させるために行う修法とされています。この密教用語が転じて現在使われる「息災」の意味になったとも伝わります。


 コロナ禍って誰にとっても前代未聞の状況です。きっとそれぞれのお立場において、コロナの影響で「変わってくこと」そして「変わらずにいること」また「変わらずにいなければいけないこと」などいろいろあると思います。さまざまにご苦労があることと存じます。ただ、悩みはできるだけ放下著していただき、今ここに集中して、お互いに元気で過ごしましょう!コロナ問題が終息し、またみなさまとお会いできる日まで。どうぞ息災にお過ごしくださいませ😃 皆様が身心を調えて息災に過ごす一助に zen café 坐禅がなれたのなら、何より幸甚でございます☆ 合掌



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文責:Tokushin

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