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第44回 zen café 坐禅会(オンライン配信)




【オンライン坐禅会(第44回定例坐禅会) & オンライン茶話会】←坐禅会と茶話会の同日開催です☆

6/12(土)20:00〜21:3Cのライブ配信にて。

▼zen caféのインスタグラム

https://www.instagram.com/zencafe_shinshu

▼シンゲンさんのYouTubeチャンネル





2021年6月12日 オンライン配信 定例坐禅会 担当:zen café 茶頭 Tokushin



第44回 zen café 喫茶夜咄


 「忘れて、ええねん」




1、ええねん



後悔しても ええねん

また始めたら ええねん

失敗しても ええねん

もう一回やったら ええねん

前を向いたら ええねん

胸を張ったら ええねん

それでええねん それでええねん


~ウルフルズ【ええねん】より~


 

 みなさま変わらずお元気ですか?新型コロナのワクチン接種が少しずつ始まってく中、5月末の「西日本は次第に梅雨入り」の一報には度肝を抜かれました。「え?それじゃ長野も間もなく梅雨入りするってこと?!わー!早っ!」なーんて思ってましたら、割と良いお天気が続いております今日この頃ですね🌞笑


 さて、ここに挙げましたのは、ウルフルズさんの2003年発売、25枚目のシングル曲「ええねん」という曲の一節です。同名のアルバムにも収録されております。関西弁のタイトル「ええねん」がとても暖かい雰囲気を醸し出しております。関西の方言ですが、感覚で伝わるタイプの言葉ですので、わざわざ言うまでもないこととは思いますが、敢えて標準語で表すのならば、「ええねん」とは「それでいいんです」とか「別にいいんだよ」などでしょうか。川平慈英さんとはちょっと違った「いいんです」ですね 笑。


 歌詞は、1999年にウルフルズを脱退したベースのジョン・B・チョッパーさんが、2003年に復帰をした際の最初のシングル曲だそうでして、ジョン・B・チョッパーさんの復帰をお祝いする曲でもあるそうです。シリーズ企画として、各地方言バージョンのCD化が企画されたそうですが、本作品の売り上げが伸びなかったために、その企画は見送られたそうです。Tokushin和尚の記憶では、売れなかったという記憶が無かったので、このエピソードにはびっくりしましたが、調べてみますといくつかのテレビ番組のテーマ曲やエンディング曲に使われていました。そりゃ耳なじみがあるわけですね。CDセールスとしてはイマイチだったけれども、曲の良さに気付いた業界人が番組のテーマ曲に使用した。と言ったところなのでしょうか。


  後悔してもいい!また始めたらいい!

  失敗してもいい!もう一回やればいい!

  とにかく前を向いて、胸を張っていけばいい!


 ウルフルズさんが持つパブリックイメージ通りのストレートな歌詞です。小手先のテクニックでもなく、目新しいアドバイスでもない、王道の、昔ながらの言葉というのは、誰しもが知っている事だったりするのにも関わらず、時にズドーーーン!と、ひとの心を打ちますよね。






2、「忘れることの効用」



・小説家の佐多稲子は、「人間には忘れるということが、1つの救いになる」と言いました


・小説家の三島由紀夫は、「良い思い出を美化し、イヤな思い出を忘れ去ることをしなかったら、人は生きていくことができない」と言いました


・古代ローマの詩人であり、喜劇作家だったプブリウス・シルスは、「知っていることでも、忘れる方ががいいことがある」と言いました


・中国の古代思想家である孔子は、「すぐれた人は、相手の長所に注目する。もしも欠点があったとしても、それは見て見ぬふりをして忘れる。愚かな人は、これとは逆で、相手の欠点ばかりに意識をとらわれて、いいところがあっても忘れてしまう」と述べました。


・思想家の唐木順三は、「懺悔することで、悪いことをしたという罪の意識を忘れることができる。忘れることが、自分の人生を前進させる祕訣である」と述べました


・古代中国の思想書である『淮南子(えなんじ)』には、「死ぬことを怖れるあまり、かえって生きていくうえで大切なことを忘れてしまう人がいる。そのために結局は、みずから死を招くことになる」と書いてあります


~植西聰著【忘れたいことを忘れる練習】より~

 


 →産業カウンセラーの資格もお持ちでいらっしゃいます、心理カウンセラーの植西聰(ウエニシアキラ)さんの著書「忘れたいことを忘れる練習」より一部を紹介致します。ここに挙げましたのは、本書の第一章にて記される、「忘れる」に関する有名人の言葉や格言です。どの格言をとってみても、「知らなかった!目からうろこだ!」というよりは、「確かにそうだよなぁ。わかっちゃいるけど中々できないなぁ」という内容ばかりです。古今東西「忘れる」ことはとても大事なことだとする識者の言葉は多いのです。すっぱりと忘れた方が精神衛生上良い。ということが多々あるのです。しかし、日常生活の中で、「意図せずに忘れてしまう」ことはあっても、「意図的に忘れる」ってどうすればいいのでしょうか。では、できそうで中々できない「忘れる」こと。どうすれば「忘れる」ことができるのでしょうか。






3、自分なりの「忘れる」方法を作っておく



 心理学に「白クマの実験」というものがあります。

 被験者を三つのグループに分けて、一頭の白クマを追った映像を見てもらいます。

 そして見終わったあとに、それぞれのグループに次のようにお願いします。

 グループAには、「白クマのことを覚えておいて下さい」とお願いしました。

 グループBには、「白クマのことを考えても考えなくてもいいです」とお願いしました。

 グループCには、「白クマのことだけは絶対に考えないでください」とお願いしました。

 その結果、グループCの人たちが、もっとも白クマのことを忘れられずにいた、ということがわかりました。

 つまり、「考えないようにしよう」という意識が強く働きすぎると、かえってそのことを忘れられなくなるということが判明したのです。こうした現象は、心理学では「皮肉課程理論」と呼ばれています。


~植西聰著【忘れたいことを忘れる練習】より~



→「考えないようにしよう」ということを、強く「考えて」しまうと、それは実は「考えっぱなし」の状態。「考えないようにしよう」ということを忘れてしまったら、「考えないようにできている」状態。「忘」とは「心」を「亡くす」と書きます。「亡」は、現代の日本では、生命がなくなるという意味に使われることが多いですが、従来は「無」と同じような意味合いで使われる漢字でした。ですので、「忘」とは、「無心」であり、「想いが無の状態」を表しております。「頭の中に思い浮かぶもの」それは、ある意味では、執着があるからこそ浮かんでしまう念。とも言えます。「執着」「拘り」「囚われ」が無ければ、そもそも頭の中に思い浮かばないはず。というのが禅的な考え方です。坐禅中に「何かに執着せず、無にならなきゃ」と思った瞬間からそれは、「無になることに執着している」状態となっているのです。「無になることすら忘れた」状態。こうなって初めて「無」の状態だと言えます。






4、「完璧主義者」の人は要注意



 忘れることが下手な人に「完璧主義者」がいます。【中略】完璧主義者的な性格が強まりすぎると、いつまでもささいなことが忘れられなくなります。

 たとえば、仕事を終えて自宅に帰っても、仕事のことが忘れられません。【中略】しまいには、自宅に仕事を持ち帰ったり、自宅では妻や子供がいて集中できないとなると休日出勤までするようになり、仕事への執着度はより高まっていきます。挙げ句、精神的に疲れきってしまって、かえってがんばっていく意欲を失ってしまうという場合もあります。

 人間が健康的に生きていくために大切なことは、生活にメリハリをつける、ということです。職場では真面目に働き、自宅に帰ったら仕事のことは忘れてゆっくり休む、というメリハリが大事なのです。しかし、完璧主義的な性格が強いひとには、なかなかこれができません。


~植西聰著【忘れたいことを忘れる練習】より~



→植西さん曰く、完璧主義者=執着心の強い方という傾向が見られるそうです。完璧主義射的なご性格の皆様は、ぜひ自分事としてお気をつけください。また、植西さんは「執着心を強く持ちすぎると忘れることが下手になっていきます。」ともおっしゃっています。やはり、「忘れる」と正反対の言葉が「執着」なんですね。仏教語に、「求不得苦(ぐふとくく)」という言葉があります。いわゆる「四苦八苦」で有名な「八苦」の1つに数えられる言葉ですが、中村元先生の「佛教語大辞典」によりますと、「求めるところのものを得ない苦しみ。求めても得られない苦しみ。ほしいものの得られない苦しみ。求めるけれども得られないことによって生ずる苦悩。何でも願い求める時、得られない苦しみ。」と説明されます。「執着」の想いから「求める」心が生まれますので、求めたものを得られない苦しみ「求不得苦」を味わわないためには、初めから「執着」しなければいい。初めから「何も求めなければ良い」とするのが仏教的な考えで、求める心が起こってしまった時には、上手に忘れましょう、というのが現代の心理カウンセラーの方のご教示です。わかりやすく言えば、どちらも「アタマを空っぽにしましょ♪」ということですよね😄






5、それで ええねん☆



何もなくても ええねん

信じていれば ええねん

意味がなくても ええねん

何かを感じていれば ええねん

他に何もいらんねん

他に何もいらんねん

それで ええねん

それだけで

ええねん


~ウルフルズ【ええねん】より~

 



 最後もウルフルズさんの「ええねん」の一節です。


「何も求めんとな。執着もいらん。他に何もいらんねん。それでええねん。」

 

 とか言われると、えらいお坊さんの言葉にも聞こえてきます。「ええねん」って、シンプルかつ、真理をついた。それでいて暖かさを感じるとてもすてきな言葉ですよね♪また、「ええねん」は「良い念」とも変換できますよね。「執着」のような「良くない念」では無くて、「良い念」。「ええねん」は「良い念」。明るく前向きな「良い念」。


 そだそだ!道元禅師って京都の出身なんですよね。ひょっとしたら、普段のお説教なんかも関西なまりだったのでは??


「ええねん。いらんもん全部捨てて、ただひたすらに坐ればええねん」


 なーんて、修行僧におっしゃってたのかもしれませんよね!いやぁ、ほんとただの妄想ですが、正法眼蔵から感じる哲学的な固ーいイメージだった道元禅師が、なんだか急に親しみ安くなりました😃笑笑 

「ええねん。それでええねん☆」  合掌




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文責:Tokushin

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